2010年2月下旬

日記

日記や短文です。
日付は、下がいちばん新しいもの。





[2010年2月下旬]



2月22日(金)


朝ご飯。
目玉焼きは、あっさり食べたい時、
油を使わず、ビタクラフトのフライパンで
1センチくらいのお湯に落として、蒸し焼きにしてます。
ゆで卵より、すっごく早くできます。2分くらい。

キャベツを千切りにしたら、外側の葉だったせいか、固くて、
そのフライパンの、あまったところにキャベツも入れておいたら、
茹でキャベツになっておいしかった。
コステロトーンのベーグルを網で焼いて。









カーリング観戦。2勝2敗で迎えたロシア戦。
またも、ミラクルが起きる。
第5エンドまで、0-6で負けていて、
これをひっくりかえすのは、もう、かなり至難の業だと思われた。
うちでも、ああーーーー、とため息だった。
目黒も後で振り返って、「正直もうだめかなと思った」そう。


が、第6,第7と3点ずつ返す!
第7エンドには、控えの山浦が石崎と急に交替していた。
その前、山浦は、
控えの席から、その後行われるドイツの偵察をしていて、
0-6ということさえ知らなかったのに、
監督に「行けるか?」と言われてびっくりしたそうだ。

アナウンサーの人や小林さんも、
山浦のことをすごくかってるようで、
「(ずっと控えでも)決してくさることなく、
メンバーに多くの情報を与え続けた、影の功労者」と言っていた。


マリリンも、インタビューで、
「麻葉ちゃん(山浦)は、ほぼ毎日、
私達が寝る頃になって、アイス(投げる場所)に入って、
ストーンチェック
(あまりネットで調べられなかったけど、
たぶん、ひとつずつのストーンがどれくらいすべるかなど、特徴を確かめる)
をしてくれて…」と話していた。



    *********



その山浦、
この状況で落ち着いて、ストーンを投げられてすばらしい、
というふうに、たしか言われていたと思う。


そうやって食らいついて、奇跡的に追いつき、
9-9の同点で延長戦の11エンドに突入!

最後に真ん中にある、
ロシアのNO.1ストーンをはじき出せば、日本の勝利となる。
が!、また例によって、前に微妙なガードが2つ…。




目黒の手から、ラストショットが放たれる。

「ん?」とアナウンサーの人が小さく言っている。
微妙に曲がってきているのか。
「ヤーーーーーーーーーーー!」の掛け声。

ストーンは、どんどん進む。
「前、当たるな!」と、またしても叫ぶ小林さん。

そしたら、アナウンサーの人のほうが、
「あーーーーーーーー! ガードに当たる!!!」
とまったくもってアナウンサーらしくなく、叫んでいる。
小林:「前当たるなーーー!!!!(絶叫)」

アナウンサー:「抜けた!!!!!」
小林:「よしっ!!!!」
アナウンサー:「そして! はじきだす!!!!」
小林:「よーーーーーーーーーーーーーーーしっ!!!!」
アナウンサー:「日本勝った! 日本勝った! 0-6から大逆転!」




ここ、何度リピートしても、
アナウンサーの人のほうが、超必死で、ほほえましかった(笑)。
早口でなんて言ってるのか、聞き取れず、
しばらくは聞き取れたように、
「そして! 必ず!」と家でモノマネしていた。
が、状況からいって、たぶん「そして! はじきだす!」だろう。
(どーでもいいですね…)

いやあああー、すごかった。
家でも、またしても絶叫、くにぞうとジャンピング!




その後、アナウンサーの人が、かなりほっとしたのか、
脱力した声で、同志であるかのような小林さんに、
「小林さん…、ひとことお願いします…」
と言っていたので、笑う。

小林さん、
「0-6から歴史的な勝利ですよね。
日本の皆さんの応援が届いた!」と大きな声(笑)。


そして、アナウンサーさん、まだ息をつきながら、
「いやーーー………、最後ガードに当たった時点で
日本の敗戦は決まってしまいます」と、
振り返られていたので、
「そうですよね…、心配しましたよね」と肩をたたきたいような気分だった。


メンバー全員、すっごい抱き合って喜んでいた。
これで、まだ決勝に進む望みを残した。



     ***********



が! 午後のドイツ戦。1点足りずに、惜敗…。
そこからは連日、
強豪との対戦も多く、ひとつも勝てずに、3勝6敗。
10チーム中、8位でオリンピックは終わってしまった。

あの目黒が、最後のインタビューで泣いていた。
「実力が足りないなと思いました…」
と言いながら、涙がつーっと出ていた。




でも世界ランキングから言うと、
日本は9位なのだから、がんばったのではないか。
上位のチームのショットの正確さといったら、はんぱないし。
40メートル先に標的があるのだが、
そこに目がついているかのような、正確さで入れてくる。

スイスのオットとか、
スウェーデンのノルベリ(43歳!)とか。
強豪国のスキップは、もう人間じゃないって感じですよ。

そんななかで、日本も、ほんとうにがんばったと思う。
奇跡的なスーパーショットをいくつも見せてくれて、
楽しませてくれて、ありがとう。
これからも、ずっと、続けていってほしい。
チーム青森はまだ若いし、
カーリングは、経験がすごく大きいスポーツなのだから。










2月24日(水)

こないだ届いた「まほうなべ」で豆を戻してみる。
普通はひと晩、水に浸けるのだが、
すぐにちょっと沸騰させて置いとくと戻るらしい。
これで味噌づくりの豆を茹でるのに、役に立つのかどうか、ちょいと実験。

買い置きの「ひたし豆」と水を入れ、




沸騰。
そして保温釜へ、ポンと入れ込んでおく。








夕方。昔在籍していた広告会社、サン・アドに。
女性の営業の先輩、守屋さんと
ずっと前々からご飯に行こうと話してて。

大手町から外苑前に引っ越ししてから、
私、サン・アドに行くのは、なんとこれが初めて。
用事がなければ、
ふらっと遊びに行くなんて、わたくし、もうとう、できないのです…(笑)。



受付フロアとか、ものすごくデザイン的で、かっこよくなっていた。
守屋さんがなにげに案内してくれて、
久々にいろんな人に会えて、すごくよかったあ。
葛西さんも、いらっしゃった。
でも会社って、やっぱり会社で、
みんな毎日すごく働いているなあという気を感じる。えらいなあ…。


そこから予約してもらった沖縄料理へ。
仕事で忙しいカワハラは、直にこちらへ。
久々に3人で会うので、つもった、いろんな話。たのしかったなあ。

守屋さんは、以前から、私が勧めた精神本を読んでくれたり、
助けを必要としているお友達に、さっと送ってあげたりできる、すばらしい女性。
今回も別のお友達が、その本ですごく助かったとも聞いた。

そうやって回り回って、役に立てたりすることは、
ほんとに私の望みであり、いちばん幸せなことだと思う。
ありがとうございます。









2月25日(木)

くにぞうが、ふたたびつくったチョコを、ヨガに持っていった。
前回カタチが三角になってしまったので、
今度は自分で考えたようで、
小さいタッパーにパラフィン(クッキングペーパー)を敷いて、
その中に流し込んでいたので、けっこう四角。
タッパーから、余分に出しておいたペーパーの端っこを引っ張って、
かぽっ!と取り出す。
で、包丁で小さく切っていく。(写真、ボケとるぞ)





みんな、「えーーー、くにぞうさんが!」とか、
「すっごいおいしい~!」とか、ほめてくれた。
お酒がきいてるので、「お酒の伴にまた食べたい~!」とも。
くにぞう、すごくよろこんでいた。
「お店出せるよねー」なんていう冗談から、
「ショコラティエ・くにぞう」とか言って、みんなで笑う。



     *************



ヨガのあと、カワハラと吉祥寺の「ギャラリー feve」へ。
feveのカーリンさんから、
「夏野さんと『腹巻きパンツ』をつくりました」とメールをもらっていて。
(feveのブログ10/2/19「冷えとり」に、そのパンツを履いたカーリンさんが。
ちなみに、ターセンさんは、旦那さん。ふたりとも日本人)

実物を見てみたら、かわいいので、ひとつ購入。
が、私は年々、ゆるゆるの衣類が好きになってきたので、
わがままを言って、ゴムをすごく、細く、ゆるくしてもらった。
夏野さん、お手数で、すんません…。




     ****************




そっから、カワハラの携帯に電話が入って、
急に高山さんちに遊びに行くことになった。
急なので、食材をちょっと買っていって、
各自がいろいろつくって、食べるような趣向みたい。
軽く緊張…。高山さんに料理をつくるって………。

ま、深く、重く考えないようにする。
こういうところは、精神本を読んだり、カワハラの影響を受けたりして、
以前と違うところかも。
前だったら、えええええ!!!!!と思いすぎていただろうが、
流れにのっていくことにする。


で、私って何がつくれるんだったっけ…と思い出すも、
あまり思いつかないが、
野菜売場の野菜を見ているうちに、あ、そうか、と思い出す。




急に行っても、高山さんちは、すごく風通しよく片づいている。
いいなあ。
台所もきれいだなあ、とじーっと見てると、
高山さんが、「すごい、見られてる…」と笑っていた。

その後で、高山さんが、ちょっと前に私の本「妙に役立つ…」を読んでくれて、
押し入れの中など、
無印良品の衣装ケースなどで、すごく整理したのを見せてもらった。
すごーーーい。すっきり! ものすごく、うれしいー!




今日は、スイセイさんも一緒にご飯。
まずスイセイさんのモバイルのコンロで、しいたけを焼く。
その網ののっけ方とかで、「こうやったらいいんじゃない?」と言う時の、
おふたりの言い方が、丁寧で、
相手を尊重するようにゆっくりしていて、感動する。
これは、前々から思っていたこと。
ひとりひとりの頭の中は、違うのだから、そうするほうがいいなと思う。
直火で焼いたしいたけ。すごくおいしい!



真由美さんは、「十八番(おはこ)」の連載で慣れているから、
どんどん調理器具を出し、野菜の皮を剥いたりして、
茹でスナップエンドウ、アスパラ炒め、菜の花のからし醤油和えを
さっと出してくれた。
やるなー、と尊敬する。火の通し加減もちょうどよく、おいし~い!

(ふたりっきりの料理教室ルポともいえる
「十八番リレー」高山なおみ、川原真由美/NHK出版は、今発売中。
かゆいところに手が届くような、微妙なコツが、すごくよくわかります)






高山さんは、にんじんのサラダをつくってくれていた。
おいしー! 私はあんまりつくったことないけど、なんか絶対に味わいが違う。


で、私は、レンコンをすりおろしてつくる
「レンコンのチヂミ風」を。(私の日記09/8/26に写真)
人の台所って、火力や、油や、いろいろ違うし、私って、気が動転しやすい。
が、落ち着いているような感じに見せる。見えてない…(笑)?


でも、みんな「おいしい!」と言ってくれ、嬉しかったあああ。
高山さんが、
「すりおろしてる時や、切ってる時、家庭みたいな音がしたよ」
(どういう言い回しだったか、ちょっと忘れちゃったけど…)
とも言ってくれて、それもすごく嬉しかった。



もう一品、「ふき味噌」も。(私の日記06/4/26に写真)
これまた、あせって、茹でたり、炒めたりするのが、少なかったようで、
味見したら、まだ固いので、
後で水を加えて、また炒め直したり。
こういうことに動じない人になりたい…。

でも、これもおいしいと言ってもらえて、
また高山さんのにんじんのバターライスに
「合う!」とのっけて食べてもらえたりして、すごく幸せだった。

そのにんじんのバターライスは、土鍋で炊き立てで、
「こんなおいしいバターライス、食べたことない…」と高山さんに。



         ************



そのうち、何の話からか、
スイセイさんの頭の中はどうなっているのか、というようなことになり、
(私、前々から、あんなセンスの人は、いないなあと思っていて、
私が聞いたんだと思うけど)
スイセイさんが、自分がいいと思っているもののファイルを見せてくれた。

古いジープのカタログも、そこに入っていた。
あー、やっぱり、こういうものが取ってあるような人だった。
そして、そこから、鳥肌が立つようなものが出てきた。

NTT DATAという会社の、新聞広告5段。
それは、1993年に私がコピーを書いたものだった…!


当時、サン・アドのアートディレクター、葛西薫さんが、
コピーライターの一倉宏さんと組んで、
ホーキング博士、ダイソン教授ら、科学者を取り上げて、
企業広告をつくられていた。
巨匠同士の作品だ。
このシリーズは、賞もたくさん取り、とても感動的な仕事だった。
(なんと今検索してたら、一倉さんのHPに、その一部が出ていました)





その憧れのNTT DATAの仕事の、
別の企画として、
雑誌「SWITCH」の裏表紙とその中身1ページを使って、
5回連載の企業広告をすることになり、
なぜだか、私がその担当になったのでした。

これが決まった時は、今でも覚えているけど、
ゴールデンウイーク前の打ち合わせの最後に
「青木さん、この本読んどいてください。じゃあ連休明けに」
と数冊、科学の本を渡され、
すごいチャンスだから、やりたいけど、
ものすごく文科系だから、
まったくもって、何からどうしていいかわからない!とクラクラしたまんま、
とりあえず、田舎の母に電話で、
「こういうことになったから、連休帰れない…」と言うと、
「あんたは、そういうことに向いてないんじゃけ、
正直に言うて、変えてもらったほうがええんじゃないんかね?」
と心配そうに言っていた。




が、なんとか、やりきることにした。
連休中、のんびりした散歩の人がたくさんいる、
多摩川の河原でも、鉛筆でわかるところに線を引き引き、読んだ。
あー、みんなはのんびり休日で、いいなあと思いながら。

そして連休明けの、一倉さんとの打ち合わせの時に、
何もたたき台がないのは、すごく失礼だろうと思って、
「父への手紙」という形で長文を書いていったら、
それがほぼそのまま、広告になることになった。

(なぜ、父への手紙になったのだか、自分でもよくわからない。
この数年前、ほんとの私の父が亡くなっていた)





そして、このシリーズでTCCの新人賞を頂いた。
授賞のことで覚えているのは、まだ結果がわからない時に、
この仕事をずっと進めてくださっていた
電通のすばらしいプロデューサーの若梅さんが、
「最高賞?」と言ってくださったこと。(普通の賞でしたよ…)

そして一倉さんが、授賞式に来てくださった時に、
シャツのすそが、ぴょんと出ていたこと。(たしか…)
忙しいのに、駆けつけてくださった感じがして、私はひとりで感動していた。





は…。また話がそれまくり。
その一連の流れで、その後数年にわたって行われた
NTT DATA主催の「教授達の講演会の告知広告」も、
私が担当することになり、
例のスイセイさんが持っていた広告のコピーを書いたのでした。

スイセイさんは、別に私のコピーには関係なく、
当時まったく知らない、葛西さんの線画のイラストとデザインに引かれて
「なんか、これ、ええのう」ということで、
と取っておいたようなんだけど、
なんか…、この不意打ちの出会いに、涙がじわっとした。
17年前の、私だった。





ちょっと恥ずかしいけど、そのコピーを書いてみる。
最初の一行が、キャッチコピー。↓


「いっしょに、宇宙をつくりましょうか。」


「人間の意識が届く範囲で、宇宙がなりたっているとしたら、
宇宙を少しずつ広げているのは、人間の頭脳です。
今、宇宙は、どのくらいだと思いますか。
そして今、人間は、どのくらいだと思いますか。」







自分の昔の広告のコピーを見て、
うまく言おうとしてるな、とか、目立ちたがってるな、とか、
いいふうに思うことはあまりないのだけど、
やめる直前に書いた、この頃のものは、わりに淡々としていて、
これも、けっこう、ヘンで好きだと思った。

広告はやめてしまったけど、
こういうことを、
別のかたちで、
やはり、
やっていけたらいいなと思った夜だった。


その後、スイセイさんが新聞にサインしてくれ、と言ったので、
「えー! 葛西さんの、このきれいな広告に書けない~!」
とジタバタ言ってみるが、最後に
欄外のすみっこにちろっと、ローマ字で書く。

それから、
スイセイさんの、ジープが駐車場に置いてあるのを、
暗い夜空の下、ベランダから眺めた。
自分の昔から好きだったものが、近くに来たのだ。

いろんなことが、思い出になる、夜だった。










2月26日(金)

昨日、「まほうなべ」の豆の様子を見てみたら、戻っていた。
まあ、それはそうだろうと思う。水に浸かってるし。
でも、格段やわらかくはない。

で、もう一度火を入れて、保温。
今朝見てみたら、やっぱり、つぶれるほど、柔らかくはなってない。
じゃあ、今回の味噌づくりには、ちょっと関係ないかも。
他の料理にまた、使ってみよう。
今日から、味噌の仕込みでたいへんなので、
この豆は、そのまま冷蔵庫へ。








オリンピック。
朝から、真央ちゃんがフリーを滑るので、さすがにそわそわ。
トリプルアクセルを決めた時には、叫んでしまった。
が、ミスも出て、銀メダル。
耐え切れない、子供のような涙に、こっちも涙。
人目を気にせず、泣いたっていいんだよ、と思う。

表彰式の後、
写真のために、リンクを回っている最後の頃に、
ようやくかすかに笑顔が出てきて、親のようにほっとする。


こんな運命。
でもこの後、金メダルを取ったら、喜びは、もっともっと大きいと思う。
その序章ということなのかも。
柔ちゃんも、そうだった。


鈴木明子さんも、すんばらしく感動する演技だった…。
(特にフリーの「ウエストサイドストーリー」のほう)
また滑る前に、
摂食障害から立ち直る時に、すべてを受け入れてくれたコーチの人
(超やさしそう!)と、
真正面から見つめ合って、
「はい。はい。大丈夫です。行きます」みたいに、かわいくうなずいてて、
自分で笑顔の頬をポンポンたたいたりして、
その後、演技フィニッシュの時の泣き笑顔で、泣いた…。



       ************



夜。「報道ステーション」で、リポーターの松岡修造が、
オリンピックで一番印象に残っている言葉として、
キム・ヨナさんのを紹介していた。
それは、



「結果は、神様が決めるもの。
どんな結果が出ても
受け入れる覚悟はできている」


という言葉。


ああ、だから、勝ったのかなとも思った。

努力のすえに、最後に、執着を捨てている。
それをわかっているのだ。
なんてすごい、19歳なのだろう。

こう、生きていけたら、
すべては、もう、だいじょうぶなのだ。

私もこうしたい。




       *************



日本敗退後のカーリングも、ところどころ、ちらちら見る。
スイスvsカナダ戦で、
スイスのスキップのオットのスーパーショットに、
小林さんが、
「これが、カーリングだ! This is Curling!」と叫んでいた(笑)。
そしたら、もう名コンビであるアナウンサーの人、
「小林さんが、英語を使い始めました」と。うける…。

その後、
「関係ない日本の放送席が、なぜこんなに興奮しているのか、
という目で見られています」とも言っていたアナウンサーさん(笑)。
日本のじゃなくても、すごい試合は、おもしろいなー。





       **************




味噌づくりの大豆とこうじが、自然食品のお店から到着。
いつもの3倍。ややびびる…。うまくいくのか。





一緒に、陶器の重し(落とし蓋)も注文しておいた。





この間から、数日考えに考えたあげく、
洗い桶も利用して、大豆を戻すことにする。

大きい鍋が、たくさんないうえに、
「こうじ」と豆を、正確な割合で合わせなきゃだめじゃん!と気づき、
頭が悪いので、何度も、
「えっと、まず去年と同じ1キロなら、完全に鍋に入るから、煮て…。
でもそしたら、3回やることになるから、ダメだ…。
あ! 今回買った仕込み用のほうろう鍋も火にかけられるかも…?
だったら、いっぺんに茹でられる?
でもバットに、去年の3倍量は、絶対入らないから、
いっぺんにこうじとは混ぜられない。だったら、ダメだ…。
煮た後で、消毒して乾かすのも、大変だし…。
そしたら…、去年の1.5倍ずつなら、鍋に入るのかな… 。
で、それを2つのコンロで同時に煮て…」とか、
「じゃあ…」と「ダメだ」をえんえん繰り返しつつ、
あれこれシミュレーションしてみて、
たぶん、これがいちばんわかりやすい、と
きっちり半量ずつ、2回戦でやることにする。(長!)

その半量をきっちりキープするため、
前半分を2つの鍋に。後半分を、よく洗ったドでかい洗い桶に。
翌日飛び出さないように、水は多めにする。壮観!











2月27日(土)

いよいよ、味噌づくり本番の日。
大豆達は、飛び出さす、全部ちゃんと戻っていた。美し~。






例年通り、しおりちゃんの本、
「私の手料理」(アノニマ・スタジオ)を広げて。
(去年の味噌づくりは、日記09/3/28に。
去年、一昨年の、私なりの工夫をふまえてやる)


まず、もくもく出る、アクすくい。




去年同様、100円ショップで買った小さめの布団圧縮袋に
茹で汁を切った大豆をざーっと。




くにぞうとふたりで、踏み踏み。






大豆は、去年よりも、さらに、わりとすぐつぶれたよう。
今年は「ビタクラフト」と「まほうなべ」の蓋をして、
(去年はよく吹きこぼれるので、蓋せず)
ごくごく弱火で吹きこぼれないように注意しつつ、茹でてみたら、
短時間で、余計に柔らかくできた。(写真、つぶれたところ↓)





最後は、ビニールをはさみで切り開いて、
お菓子づくりで買ったカードでこそげると、きれいに取れた! 役立つ!



つぶした大豆を、塩こうじと合わせ、混ぜる。




おだんごにしていく。




そのおだんごを、ほうろう容器に詰めていく。
んで! 
今回、ここまでの工程を、もう半量同じことをやるのが、
体力的に、すんごくきつかった…。
ちょっといっぺんにつくりすぎかも。
でも2個のカメに分かれると、
カビ対策を見るのも、2倍になるかなと考えて、一度にしてしまった。

全部積め終わったら、上に塩をパラパラ。
できたーーーーー!!!! とくにぞうと握手!






ラップして、陶器の重しを置き、
その上に、焼酎を含ませたサラシを置いて、カビ対策。






新聞で蓋をして、終了!!!!!




去年は、WBCの新聞だったが、
今年は真央ちゃんにする。





はーーーー、ついにやったーーーーー!
しかし、かなりぐったり…。
ねっ転がって、オリンピックをだらだら見てる間に、
くにぞうが昨日から仕込んでいたビーフのワイン煮込みを仕上げてくれていた。
うまっ! 洋食屋さんみたい。







女子パシュート決勝も見る。
絶対勝つと思ったけど…。がんばっていたのになあ。
のちのち何かの密着で見たけど、
35歳の田端には、ずーーーーーっと前から、
長距離の選手としての壮絶なドラマがあったらしい。
(録ってなかったから、うろ覚えですが…)

長野オリンピックの候補だったのに、直前に足を骨折!して辞退、
有名な富士急を退社し、フリーになってから、
監督が必死にスポンサー探しをして、
今の「ダイチ」という会社が応えてくれたこと、
(調べてたら、ダイチって40人くらいの、富山の小さな会社なんだそう。
そのいきさつが、ちらっと書いてありました。泣ける…。
同じパシュートの穂積さんも、ここの所属みたい。
こんな会社が、たくさん出てくるといいですね)


そして田端は、
監督と二人三脚で、トリノから正式種目になったパシュートに賭け、
ついに3位決定戦に残れて!、メダルがもうそこまで見えていた時、
3人目の選手が最後に転倒してしまって、4位…。

その4年後、やっと迎えたバンクーバー。
冬のオリンピック4回目にして、初のメダルだったらしいのだ。
よかったですね…。

でも、0.02秒差なら、
ほんとにどうにかならなかったのか…という気になってしまう。
その電光掲示板を見た時の、中学生で補欠の高木美帆ちゃんが、
わっと顔を手で覆ってしまった姿が忘れられない。
でも、これも、またドラマの始まりなのかもしれない。
小平さんも、次回楽しみだし、
とにかく田端さんの手にメダルが渡って、よかったと思う…。











2月28日(日)

朝ご飯。
メザシ、納豆、大根おろし、ぬか漬け、卵焼き、味噌汁、玄米。
日本人でよかったという瞬間。






夜。カーリングの小野寺さんが、「オリンピック総集編」に出てた~!
こないだ見逃してたから、嬉しい~。
相変わらず、すごく美しいなあ。
復帰とか、ないのかしらん。

あー、しかし、オリンピックも、もう終わりだな。
見ほうけていたから、さびしい。
最近、スポーツから、精神のことを学ぶことが多い気がする。