2009年3月上旬

日記や短文です。
日付は、下がいちばん新しいもの。




[2009年3月上旬]



3月1日(日)

昨日、くにぞうの実家に帰省し、
今日、姪っ子達や義弟、お義母さんと総勢6名で阪神競馬場へ。
くにぞうが予約した指定席に、
こうやってみんなで来るのは、2回目だ。
お昼は朝みんなでつくったおにぎりなど食べながら。

昼休みに調教師さんの引退式があると知り、急いで下に降りる。
武邦彦、中尾正、浜田光正さんの3人だ。
ほんとに偶然でびっくりしたのだが、
私はずーっと以前に『クリゲ』という競馬雑誌で、
厩舎をたずねて、馬と人のレポを少し連載していたことがある。
その時、中尾さん、浜田さんのところに伺っていた。

浜田さんの時は、ビワハイジに会いに。
ビワハイジは、桜花賞を勝ったブエナビスタ(父/スペシャルウィーク)
(この日記では、桜花賞はもっと後だ…笑)
のお母さん。

中尾正さんは、ビッグサンデー。
しかし今思っても、ほとんど競馬に素人の女が、ひとりで厩舎に行って、
あれこれ尋ねて、という取材に、
みなさん、ほんとうに親切にしてくださった。
私も、いちおう成績をくまなく確認したり、
聞くことを考えたり、がんばって準備していって。
しかし、よくひとりで行けたなあ。






そんな先生方の引退式。
武邦さんは、息子さん(武豊、幸四郎)から花束を渡されていた。
ファンの人も、熱心に拍手を送っていた。
私も。
ありがとうございました。

それから指定席に戻って、競馬を続けるも、
花粉症のくしゃみ、鼻水がひっきりなしで、クタクタ。
風の強い外に長くいたから?
まあ、しかし、出すだけなんですけどね。ちょっとぐったりした…。
そして最終レースまで、
誰も大ヒットの当たりが出ないままだったが、楽しく帰宅。




 




3月3日(火)

「ゆるゆる冷えとり日記」にも書きましたが、
義理の両親と共に、淡路島の旅館に一泊。
新館がつくられたところで、
ベッドにソファのきれいなホテルタイプ。
ベランダに露天風呂もあり、向こうは海だ。
お料理も地元の素材を使ってて、すごくおいしくて、ほんとによかった。

そして昨日、今日と
お墓参りとか、普通に外に出たりして過ごしてたけど、
花粉のくしゃみ、鼻水は、ぱったりと出ない。
一昨日盛大に出したから?
まあ、考えず、ただ体に従うのみですね。








3月4日(水)

東京に戻る。
遅いので、夕飯を食べて帰ろうということになったが、
東京駅あたりで、もう時間が遅いので、あてがはずれる。
八重洲の地下でさまよっていたら、
偶然イタリアンのお店があり、入ったら、おいしかった。
しかし東京駅の地下は、迷路のようで、
もう全然どこがどうなってるのかわからないほど、お店ができてますね。







3月5日(木)

いよいよWBC開幕! 1次ラウンド! 
ダルビッシュが中国をビシッと押さえて、4-0で勝利。
しかしイチローは、ノーヒット。大丈夫だろうか。






3月6日(金)

近所の「アグレアブル ミュゼ」で、
姿勢改善のレッスンがあると聞いて、受けてみた。
すごく爽やかな若い男の先生で、新しい発見もいろいろ。
特に息を吐き切った後に、
お腹の中のインナーマッスルが起き上がってくる、
というか、ちょっと固くなって、使われる状態になる、というのを
初めて実感できて、おもしろかった。
私は、今そのインナーマッスルを全然使えてない状態とか…(笑)。
あると思います!

帰り道、
ふうーっと口をすぼめて息を吐き切ると、
さっき習ったおなかがカチカチになる感じがあり、
それをキープしながら、息を普通にして、歩けるようにやってみる。
なんとかできた気もする。
いいかも!
しかし、まだ苦しいので、すぐにやめないようにしたいけれど。
知らないことを習うのは、すごくいいなあ。




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帰って、くにぞうに
「スカパーで前回のWBCのダイジェストやってたよ」と、
一緒に見てたら、
くにぞうが、「わー、こんなだっけ! すごい! すごい!」と言ってて、
「あの時の、録っとけばよかったね」と言ってくる。
「え、録ってありますけど?」と。
フリなのか。
で、ふたりで見る。初回(2006年)のWBCの録画いろいろ。



もう日本が勝ち上がる望みもほとんどなく、
あー、アメリカが勝ち上がるんだなあ…と絶望してた日に、
メキシコチーム(もう敗退決定で、
選手はディズニーランドかなんかに遊びに行った後…笑)が、
アメリカにまさかの勝ち!!!
で、 ほんのわずかの勝率の差で
日本が勝ち上がれることになった日のテレビ。

その信じられない一報を聞いて、
ワイドショーの司会の大和田獏の膝が崩れ落ちるところ(笑)。
私は完全に目に焼き付いているが、
くにぞうは、「こんなのよく録っておいたね!!!」と大興奮していた。
そして世紀の大誤診やら、代打福留の一発とか、
王さんと娘さんの涙の電話とか、
何度聞いてもカミカミな、イチローの「くつじょくてきな日ですね…」とか、
川崎と西岡のなかよしシーンなどなどなど、延々見てしまう。


「すごいね、感動だね…」となぜか泣いているくにぞう。
あのー、今もう第2会のWBCやってるんですけどー。
でも、この集団のスピリットのすごさから、
野球にはまったといっても過言ではないので、
ほんとにいろんな場面が感動的。
奇跡を起こす人達は、絶対に精神性がすぐれている。




3月7日(土)

WBC。松坂先発で、初の韓国戦!

その5時間前のテレ朝の生放送特番が、めちゃくちゃ熱かった!
中居君、古田の出演で、
キャンプから、練習試合、過去の経緯、
主力選手、原、王監督へのインタビュー…、全部すごすぎ!

中居君、まだ1次ラウンドなのに、
「あと5時間です…」「ほんとにやばい…」とか、
テンション最高潮になっていて、かわいかった。
北京で負けて、一瞬絶句してたくらいだから、そうとう入れ込んでいるはず。




番組の中で、イチローの打撃を心配する声があるなか、
ムネリン(川崎)にイチローのことを聞く
インタビューがあって、
「まだ見せてないから、本気を。僕はわかるんですよ。
目のスイッチが入るんですよ、
あのスイッチが!
押してはいけないやつが!(←私、爆笑)
それを知ってるから、そうとう本気の、
真剣な試合じゃないとスイッチ押さないと思いますよ」
と言っていて、非常にかわいかった。

さすが、WBC1回目で、イチローにくっつき回ってただけのことはあるなあ。
こういうの見ると、
同じくイチローをすごく慕っていた西岡が
代表に落ちたのが、ほんとにかわいそうになってもくる。




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中居君が実際にキャンプを見に行ったところも、見どころ満載だった。
古田と遠くから見ていたら、
近づいてきた原監督に、「どうぞ、お入りください」と言われて、
古田は入っていったけど、
「ここは入れないよ…。俺が入るとこじゃないよ…」とびびってたり、
遠くの原、古田、清原の3ショットをうらやましそうに眺めて、
「(ジャニーズで言ったら)、
マッチとトシちゃんと東がいるみたいなものでしょ。
行けないよ、あんなところ…」とか言ってて。

いろんな選手に、くだけたインタビューもしていた。
涌井に「代表に選ばれる?」「わかんないです」←涌井
(そんなこと聞いていいのか…。親しいのかな)



グランドで見てたら、西武の中島選手がニコニコ寄ってきたとこもよかった。
「楽しそうですね」と中居君が言うと、
「楽しいです!!!」と中島。
「楽しいの? もう?」
「うれしくて。
このユニフォーム着て、すごい選手らとやれるのが、うれしくて…」と
まるで小学3年生くらいの受け答えだった。
ナカジー、かわいい~。
実力あるし、チャンスに強いし、この素直な笑顔。
人気あるのもわかるねえ。



そういえば、書き忘れてたこと。
2/18の宮崎キャンプで、大観衆の中で練習するイチローに
「イチローさーん、世界でいちばん尊敬してまーす!!!」
と若い男の声がかかった。
するとイチローは、サングラス姿の守備の構えのまま、
ふりむかずにクールにピースを出してあげた。
くー。にくい。にくすぎるぜ…。
いいなあ、あの声をかけた人。
このビデオは、一生の宝ものだろうなと思う。
イチローをはじめ、みんなの練習風景がほんとに楽しそうで、
あの中に入ってやれることは、どれだけ幸せかと思った。



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特番の内容に戻ると、
ダルビッシュと松坂の対談という、夢のようなことも!
それがまた、いつも人見知りっぽいダルビッシュが、
松坂大好きというオーラを全面に出してて、超かわいいのだ。
松坂に「球数制限の中で、9回までの完封をお願いしたいです」
とかムチャなことを言って、ニヤニヤしていたり。

いちばん印象に残ったのは、
「こないだ合宿でいろいろ知ったんだよね…」と
松坂が、喋っていいのか、どうなのか、ダルのほうを伺っていて、
そしたら、「手も小さいし、腕も短いんですよ」と
ダルビッシュが自分から暴露したくだり。

松坂が、ダルビッシュが隠したいなら、と思って、
様子を見ながらニコニコ喋ってたのも、やさしいなあと思ったが、
暴露した途端に松坂、大爆笑だった。
その後、ほんとに立って比べたら、
身長が10センチ以上違うのに、腕の長さはほとんど同じなのだ!
「短く見えます? 見えないですよね」とまだ気にしながら言ってる
ダルビッシュ、ものすごくかわいい…。




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ほかに城島捕手のインタビューで、
審判を味方につけるために、英語でコミュニケーションを取ったり、
ナイターのライトの影とかで、構える位置が相手にわかっちゃう時に、
わざと逆の位置に行ったり、戻ったり、
いろいろ工夫してることも聞き、さすがだな…と思った。
今回、城島がいてくれることで、ものすごく心強い。

そんなこんなの盛りだくさんな特番。
「テレ朝のスポーツ局の意地だね!」とくにぞうが。
今回TBSが、ほとんどいいところの放映権持ってるみたいなので。

いやー、すごい特集ありがとうございました。
今この日記書くために録画を見直してたら、
またいちから見たい気になった…。



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そして夜の韓国戦は、14-2でなんと7回コールド勝ち!
信じられん!
イチローが打った時、「きゃー!」と言って、飛び上がってしまった私。
2回目は、鮮やかにセフティバントだし!!!
打線も爆発。村田が3ラン。
松坂は2ラン打たれたのみ。
すごいわあー。イチローが3安打で、ほんとにうれしい。








3月8日(日)

カワハラと本のイラストのことで、やりとり。
今回も私が絵を描くことになったのだが、それのラフづくりで。
描いて送って、電話で話したり。
メールがあると、こうやって進んで、便利な時代。



夜、くにぞうがつくってくれた、ひらめのカルパッチョ。
オリーブオイルとレモン汁、
塩コショウ、ネギ、イタリアンパセリとかだったか…?
おいしかった!
お刺し身も、あったい季節を中心に、少しずつ頂いてます。











3月9日(月)

1次ラウンドの1、2位決定戦。韓国と。
岩隈が3回まで完璧なピッチングで好投するも、4回に1点取られる。
打線は、打てない~!
1-0で負けた…。
しかし岩隈はよく投げたのに、評価がうすいような気がする。







3月10日(火)

朝、卵を焼こうとフライパンにあけたら、
かたっぽの卵が双子だった! 
わーっ!と言って、急いで写真を撮る。
なんか、ついてる感じ~。








午後、くにぞうと買い物。
アロマショップにて、
くにぞうが空ボトルやビーカーをを買いたいと、買っていた。
こないだ私が講習会でつくったローションを見て、
ブレンドしたくなったみたい。
で、ペパーミントのを買ってきて、家で何やら混ぜていた。
そして「いい香り~」とうれしそうに、体に塗っていた。
「塗ったり、飲んだりしていいのって、精油によって違うんだよ」
といちおう言い、パソコンで調べたら、大丈夫なよう。

私はペパーミントの匂いは、やや微妙かも。
しかし後で好きになったり、変わってくることもあるので、とても不思議。




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買い物の帰りにふたりで見た空。
雲の間から降り注ぐ光がすごい。
「おおー! すごいね!」と言いながら、しばし眺めて帰る。









そして道路をだいぶ歩いた
反対の東の空には、満月に近い月が!
「おー、今日はなんかすごいね!」と言う。




いずれにしても、空って、きれいだな。



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夜。だいぶ前に録っておいた「プロフェッショナル」を
ふたりで見て感動…。
航空管制官の、堀井不二夫さん(56歳)。
管制官は、飛行機の位置を無線で誘導する人なのだけど、
とにかく、その言葉使いがやさしいのに驚く。

一日800機以上、なんと2分に一回の離着陸を繰り返す羽田で、
何十機も上空で着陸を待つ飛行機を、
コンピュータの画面を見ながら、風や速度を考え、
パイロットに専門用語で次々と指示を出し、
最終的に、ぶつからない等間隔に一列に並ばせて、地上に降ろす。

その仕事だけでも、どうやってパニックにならないのか、不思議なのだが、
堀井さんは、この着陸誘導が好きみたいで、
取り掛かる前に「うれしいな~」と言っていた。
パイロット達からは、
「堀井さんの指示にまかせておけば、大丈夫」という
絶大な信頼を得ているらしい。






今ではそんな堀井さんも、若い頃、技術が向上した時期には、
飛行機をいかに完璧にさばいて、早く降ろすか、
ということに酔っていたと言う。
でも35歳で、沖縄に人事移動で転勤になった時、その考えが変わったそうだ。
熱心に質問する若手のパイロットがいて、
その飛行機に同乗してみて、
着陸前のパイロットがいかにやることが多く、
いかに緊張感にさらされているか、ということがわかり、
その後再び羽田に転勤になった時、仕事のやり方をがらりと変えたそうだ。


操縦席のパイロットの姿を思い浮かべ、
いかに緊張感を取るかということを頭において、
いつ声をかけるか、どんな口調で言うか、をすごく考えたそう。

「『じゃあ、着陸までがんばってください』ということを、声で表現したい」
と言っていた。
そうして今では、「丁寧な誘導ありがとう」というひとことが、
パイロットから返ってきたりするそうだ。




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また今は、着陸誘導などの業務のほかに、
たくさんいる若手を束ねる立場として、
現場の雰囲気づくりに、熱心に取り組んでいることに感銘をうけた。

リーダーが権力者となって何でもやる現場は、実はリスキーだそう。
その人が判断を間違うことは絶対ないだろう、と
誰も疑わなかったりするから。
もし間違っていた時、
下の人が言える雰囲気になっていることが、大切なのだと。

だからその現場は、あんな緊張感のある仕事なのに、
すっかりなごんでいて、穏やかな空気。
堀井さんは、「どう? 大丈夫?」と常に若手を気づかったり、
ことあるごとに「これ、変えたほうがいい?」と部下に質問してみたり。
常に部下の意見を聞くようにしていると言う。

口調も「こうですけど、いいですか?」とか聞かれた時、
「それでやりましょう」と言ってて、すごいと思った。
「やりなさい」ではないのだ。





特に印象に残ったのは、なにか現場をなごませようとして、
部下の女子に
「ラスク持ってこようか?」と堀井さんが言うと、
「ラスクはいいです。余計喉が渇きます(笑)」
とか笑いながら、断られていたこと。
ラスクって…(笑)。とてもかわいかった…。
いつもこんな感じなんだなあ、と思わせるひとこま。
なんて素敵な上司だろう。
こういうことって、たぶんどの会社でも同じなのじゃないかな。

仕事のやり方というのは、
はっと、そう思ったら、いつからでも変えられるものだと思う。
それって、すごく人間の可能性が発揮されるし、
ほんとに素敵なこと。







3月11日(水)

「男道」(清原和博/幻冬舎)の広告を見て、
私が野球好きという話をしてたら、編集の方から送って頂いた。
(以下、ネタばれですよ。読みたい人は、絶対読まないで!)


私、今までの経緯をあまり詳しくは知らないのだけど、
あの桑田とのドラフトのくだりから、詳しく書いてあって泣けた。
ほんとに、なんで桑田は、ひとこと先に清原に言わなかったのだろうと思う。

大学進学と迷っていたにしても、何であっても、
実は巨人からのコンタクトもあったということを
友達から、ひとこと先にあれば、
記者会見の席で、高校生の清原は、
あんなふうに痛々しく、ぼーっとして、泣かなくてもよかったのに。
日本シリーズの時も、守りながら、泣かなくてよかったのに。
清原って、ほんとにずっと素直に、バカ正直に生きてきた人なのだなあと思う。


そして最後、ジャイアンツでボロボロになった清原に、
抑木監督が、何度も何度もバファローズに誘ってくれ、
「うちのバファローズじゃなくても、阪神でもいいから、
生まれ育った関西に戻ってこい」と
言い続けてくれたくだりも、号泣…。
実家にも来て、
半日、清原の両親の帰りを道路で待っていたこともあるそうだ。
こんな人がいるんだなと思った。




       ***********




そして王監督が、
最後に清原の引退式で言ったひとことに、涙が止まらなかった…。

「生まれ変わったら、必ず同じチームでホームラン競争しような」

「その言葉ですべてが癒された。
王さんは、高校時代の僕の気持ちを知っていたのだ」
と清原は書いていた。

王さんは、清原がついに念願かなって巨人に入った時、
「大願成就」という色紙と花を送ってきてくれたそうだ。
監督だった王さんにも、
巨人という巨大チームの意向や、ドラフトは、
どうにもできないことだったのだと思う。


清原の引退式、普通に見ていたけど、録画しておけばよかった。
こんなことがあったとは。
今これを書いていても、また号泣だ…(笑)。
一生のうちで、王さんに関われた人って、きっと幸せだと思う。
WBC第1回を見ていても、そう思った。

清原もすごい人生だなあ。
多くの人に、自分の苦しみを通して、何かを伝えられる。









3月12日(木)

「ゆるゆる冷えとり日記」にも書きましたが、
ヨガの後で、カワハラと梅を見に、青梅まで。
平面じゃなく、丘に梅が植わっているのって、
ほんとに桃源郷のようで、きれいだった。
香りがいい、という空間も、やはりとても癒されるのだと知った。

帰りに販売所のようなところで、
手打ちうどんや、生わさびなど買って帰る。
おいしかった。


それから、くにぞうと待ち合わせて、3人でイタリアンへ。
美しいハーフのようなウエイトレスさんが、
たいへん気持ちよい受け答えで、
オーストラリアで、よくこういう人に会ったなあと思った。
ニコニコ、自分も楽しみながら働いているふう。
ホスピタリティにあふれているって、こういうことだなと思う。








3月13日(金)

くにぞうとオペラ「ラインの黄金」を見に、初台の新国立劇場へ。
舞台装置がこっていて、とてもよかった。
また事前にオペラ素人の私が、ストーリーを知るのに、
くにぞうが持っていた
里中満智子さんのオペラの漫画が非常に役に立った。
いろんな演目の漫画が出ているらしい。
おいしい和食を食べて帰宅。







3月14日(土)

確定申告の清書が完了!
感無量!
早めにできればできるほど、この気持ちが大きくなるので、
ほんとに少しでも早くやりたいと思う。





3月15日(日)

朝というか、昼ご飯でございます。






テレビで、競馬観戦。
安田隆行厩舎のレディルージュが、フィリーズレビューで3着に!
桜花賞出られます! よかった!



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夜。またまた録画してた「プロフェッショナル」。
またまたすごい人が。
弁護士の村松謙一さん(52歳)。
これはアンコール放送で、2007年1/11放送分だそう。


村松さんは、倒産のフチにある企業を救う、企業再生専門の弁護士。
借金が2億円になってしまったドラッグストアとか、
あと10日で不渡りが出る住宅メーカーとか、
「大至急会っていただきたい」という電話のメモが、次々に入ってくる。

その駆け込んできた人達を前に、
経営状態を書類上でチェックしながら、
「大丈夫だよ、これ。民事再生、必要ないよ」とか、
きさくな、やさしい声で言ってくれる、その口調にまず感動…。


いろんな電話に出ても、
まず「もしもし~」という第一声から穏やか。
電話の最後には、
「会社整理する時は、すごいストレスたまるでしょ。集中砲火だから…。
でも…(なになにだから)何もこわがることはないでしょ?
だから安心してください」
とやさしい声で言っていたり。
「99%ダメでも、1%でも希望を捨てちゃいけないよ」とも。
毎日地獄のような日々を送っている社長さん達は、
こんな声を聞けるだけで、どんなにほっとするだろうと思って、
私のほうが泣けてきた。くにぞうも、泣いていた。



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村松さんは、「民事再生」ではなく、
「私的再建」という特殊な方法も取るそうだ。
私はまったくよく知らないが、
民事再生だと、借金をカットされた取引先が
あおりを受けて倒産するケースが少なくないのだとか。

「私的再建」は、金融機関だけに再建策を持ち込んで、
極秘に借金を減らしてもらうのだそう。
だから説得力のある再建策が不可欠で、
そのために村松さんは、財務表を克明に調べて、
カットできるところを探したり、ぎりぎり持ち直す策をひねり出していくのだ。





村松さんが、今のように仕事をするようになったのは、
ある社長さんの自殺が、大きく影響しているという。
村松さんは、昔、大企業の再生など、巨大な案件をこなし、
花形の仕事をしていたそう。
そして独立して8年、大きな仕事のかたわらでかかえていた
小さな子供服店の社長さんから、
ある日、会社にファックスで遺書が届いていた。
そこには、感謝の言葉が並んでいたそうだ。
すぐにかけつけた村松さんが見たのは、泣き崩れていた奥さん。
その後、店は破産。
村松さんは、自分を罵倒したそうだ。

ちょうどその翌年、
村松さんの長女が15歳の若さで病気で亡くなってしまう。
一番大事な自分の娘も守ってやれなかった、という思いが重なり、
しばらくは人を救う自信がなくなり、
再建の仕事がこわくてできなくなったそうだ。




でも偶然、破綻企業の処理について、参議院に呼ばれて意見を聞かれる、
という機会があり、そこで、
「私は100%再建を続けないといけないと思います。命に関わることです」
と発言した時に、
また自分の正義感に火がついたのか、
今のように仕事ができるようになったのだそう。



        ************



ある倒産しそうな、親子でやっているおそば屋さんの件も、
今後の可能性のため、味がダメになってないか、お店まで確認しに行っていた。
また再建に向けて親子に試算してもらった人件費が、
自分の計算より、50万も高く見積もられていたことに対して、
「甘いんだよ、はっきり言って。これで4億は無理だよ…」とか
時に厳しい話を交え、何時間も話をしたり。

でも、どうしても、是が非でも、
駆け込んできた人、その後ろにいる従業員の命を救わないといけない、
という姿勢が、すごく見えている。
それは、亡くなった人のことが、ずっと頭にあるからだろう。




どんな人にも、何か、
転機となるような大きな出来事があって、
その苦しい、苦しいことから、
人間的に大きく、数段上のステージに飛躍するのだな、と思った。


再建策を金融機関に説得しなければいけない、
ものすごく重要な会議の前に、
娘さんの写真が入ったロケットを、じっと見つめていた村松さん。
「娘がいつも助けてくれるんでね。
これがあると大丈夫なんですよ」と言っていた。

苦しいことは、後で大きな転機になる。

そして、人を救う仕事というのは、なんと尊いのだろう。