「見えないものを、信じること」

「見えないものを、信じること」




今から4年前の2006年に、
私は、ある企業のリクルート用
(入社希望の人に送る)に、
詩の本をつくる、という依頼を受けた。


テーマとなる本のタイトルは、
「見えないものを、信じること」。
私は、それを受けて、言葉を書いていった。

セキユリヲさんの装丁、網中いづるさんの絵で、
プロデューサーは、
「avant pop(アヴァンポップ)」という会社の
クリエイティブ・ディレクター、小笠原宏和さん。
(この本のタイトルも
小笠原さんが考えられたもの)


そして2010年の今年、
私は一通のメールをもらった。








青木 様

ある日のことです。

小学2年生の子どもと眼科の病院へ行きました。

順番を待っている間、
待合室で一冊の本を手にしました。

装丁は、普通の本でした。

ちょっと開いたら詩集かな…。

読んでみたら…!!とっても驚きました。

実は、私には2年生の子どもと、

今年、卒業する6年生の二人の子どもがいます。

もうひとつ、
実は私は、小学校のPTA会長をしています。

上の子の卒業式が目前に迫っていますが、

その式典のあいさつで、
この本に書かれてある詩を詠みたいのです。

その思いを、一言、
お伝えしたくでメールしました。

『見えないものを、信じること。』

卒業式で使わせていただく無礼をお許しください。

東京都中野区上鷺宮小学校 

PTA会長 西村彰史






HPに突然届いたメールで、最初は夢かと思った。

4年も前につくって、
出版されているわけでもない本が、
なぜか眼科にあって、
それを読んだ人が、
奥付けの名前から、私のHPを探し、
メールを送ってくれ、
それを卒業式で読みたいと言ってくれている、
ということ。


こんな奇跡のようなことがあるんだなと思い、
泣きながら、くにぞうにメールを見せに行った。
くにぞうも、
「すごいね、よかったね…」と涙ぐんでいた。
そして、すぐ返信を書いた。








西村様

はじめまして。
たった今、メールを開いて、
ほんとうに驚きました。
この本は、入社希望の方へ
送付するためにつくられたものです。

それが、眼科に置いてあるとは!
そして、こんな出会いがあるとは。


私としては、
これを卒業式で読んでいただけるというのは、
すごく嬉しいことです。
たいへん感激しました…。

最近また、(以前からも夢である)
こういう言葉の本を出せたらいいな
と思っていたところだったので、
このメールを頂いて、少し勇気が出て、
やっぱりホームページでも、
もっとこういうことをやっていきたいと
再認識したところです。

ほんとうにありがとうございました。

そしてはるか昔、大学の時、
私は都立家政に下宿していました。
なので、その近くで、というのも、
不思議な縁を感じました。

そして、こういうものを読もうと思われた方が、
PTAの会長をなさっているとは、
なんとすばらしい学校なのでしょう。
そして、なんといいお父さんなのでしょう。

なにか、少しでも、若い皆さんの力になれたら、
こんなに嬉しいことはありません。

どうもありがとうございました。
いい卒業式になりますよう、お祈りしております。
青木美詠子








メールを書いている間、
くにぞうが、朝ごはんの支度を全部やってくれ、
「奥様は感動中だったので、
私が実務をしておきました(笑)」と言っていた。



返事を送ってからも、
何度も、何度も、この幸せなことをかみしめた。


遠くから、誰かが、
このことをやっていっていいんだよ、
と言ってくれているようだった。

しばらくして、またメールが届いた。








青木 様

メールありがとうございました。

いよいよ、卒業式の本番です。
式の当日には、
原稿を見ながら読むこともOkなのですが、
できれば、この詩は、ぜんぶ暗唱したいと、
猛特訓しました。
しかし、どうなることか…
ちょっと不安なところもあります。

ただ50歳をすぎて、
最近は妙に涙もろくなってしまい
暗唱することよりも、
涙を流さないようにすることの方が、
難しいかもしれません。

それは、卒業というイベントだからではなく、
次の段階に進もうとする
子どもたちへ向けたエールが、
この詩には、たくさん詰まっている
との思いも感じるからです。

24日の東京の天気は、少し雨模様。
ここちよい緊張と、
「見えないものを、信じること」
に出合えた喜びに感謝しながら…。

ぼろぼろになっても、
病院の本棚に残されていた一冊の詩集、
私も、出版に携わる仕事していることもあって、
つくづく、人と本の出会いは、
不思議なものと感じています。

まずは、御礼かたがた、
直前の気持ちをお伝えしました。

西村彰史








メールを読んで、また泣いた。
暗唱って…?
これを覚えるって…?
そんなことをしてくださるとは。
その朝が卒業式だったので、急いで返信を書いた。








西村様

メールをありがとうございました。
今日なのですね。

私は昔から、涙もろいのですが、
この間のメールも、
今、暗唱するために覚えられた、
ということにも感動して、泣いています…。

こんなことが起きて、
私はほんとに幸せだなと思います。

暗唱がどのようになろうと、
そうやって読もうとされたことが、
子供達には、もう、すごく伝わると思います。

私のダンナも、
大学の予備校の先生をしているので、
今、合格不合格と、
悲喜こもごもの報告があります。
子供達って、ちゃんと聞くことは、心で聞く、
とても純粋なひとだと思います。

出版のお仕事とは、また不思議なご縁ですね。

暗唱がんばってください!
と言っても、きっともう出発されたと思いますが。

雨が強くなりませんように。
また、様子を教えてくださいね。
あおきみえこ








青木 様

おわりましたー。
無事に終わりました。

自宅で練習しているときは、
何度か、声が詰まる事もありましたが、
泣かないで、最後までちゃんと言えました。
すみません、
それほど、私はこの詩が気に入っているのです。

当日は、学校へ歩きながらブツブツ…
学校についても、PTA室で一人でブツブツ…
本番では、4分の3は、暗唱で、
保険をかけて原稿を下に広げていました。

おかけで、とてもスムーズに、
ゆっくりと間をとりながら、
最後まで、この詩、
意味を使えることができたと、思っています。

やっぱりというか、
この詩を選んだこと、
想像通りの結果になりました。

形式的な挨拶ばかりの式典ですので、
詩の選択は、新鮮に受け入れられました。
しかも、詩の内容が卒業式にはぴったりです。

保護者の方々にはもちろん、
先生方にも気に入ってもらえました。

そして、卒業式が終わって、
子どもにも聞きましたが、
「意味も伝わったし、良かったよ」
って言ってくれました。

本当に、ありがとうございました。
私としては、とっても満足いく挨拶ができました。

うまく、伝える事はできませんけど、
とにかく、ありがとうございました。
それだけを、お伝えしたく…
ありがとうって言葉は、本当にいいですね。

西村彰史








西村様

あー、よかったです!
ほんとうによかったですね。

そうやって、ずっと覚えてくださったこと、
また泣きそうになりました…。

読むのもうまくいって、
おめでとうございました。
きっと、聞き手にも
すばらしい時間だったであろうと想像します。

そして、みなさんが気に入ってくださって、
もう、私には最高の出来事です。

冷たい雨が降り始めたので、心配でしたが、
きっとあたたかい卒業式になったことと思います。

私も、このことで、胸がいっぱいになりました。

それで、
ちょっとご相談なのですが、
このことをこちらのHPの日記に
書いてもよろしいでしょうか?

学校や、西村さんのお名前等、
出さないほうがいい場合もあるかと思いますので、
遠慮なくおっしゃってください。
もしかして、メールのやりとりなども
一緒に紹介できたら、と。

偶然の出会いから、
こんな嬉しいことがあるのだと、
たくさんの人に伝えたい気持ちもあるのです。

急ぎませんので、
またご意見を聞かせていただけたら幸いです。

それでは。おつかれさまでした。
ありがとうございました。

ありがとうは、ほんとにいい言葉ですね…。

あおきみえこ

(以上メール、ところどころ抜粋)








このあと、西村さんに快く
本名やメール等、
HPに載せることを了解いただいた。
また何人かの先生に、
この本のことを教えてほしいと言われたり、
PTAの集まりで、この本が
話題になったとも伺い、さらに嬉しかった。

また、西村さんのお子さんの担任の先生が、
離任されるということで、
一冊渡していただくことも叶った。
(この本を欲しいと言ってくださってたようで)



ディレクターの小笠原さんにも、
いろいろ了解や、本の送付などお願いし、
快く受けてくださった。
あの仕事以来、ずっとごぶさたしていたので、
最初にご連絡した時は、
「いやー、こんなことがあるんですね!」
とすごく驚いていらっしゃったが、
とても嬉しそうだった。

広告の仕事をしていて、こんな反響が返ってくる、
(しかも4年前のことが)
ということはまずないから。
この仕事をしたことをよろこびあう、
ということができた。







さて、こんなにも、
前置きが長くなってしまいましたが、
その本に載せた詩を、以下に載せてみます。↓
タイトルはなく、13コあります。

これをつくる当時、
学生だった人が、これから社会に出る、
その不安と、希望と、
いろいろ重いものを抱えた人達に、
何か支えになるようなものを届けたい、
と書いたのを思い出します。


これが、また
誰かに届くことを願いつつ。

(10.6.30)








まだ
なにものかも
わからない自分が

なにかになっていく

できたら
人生の最後に

好きだと言える
自分になっていたい








人とは違う
やり方や
考え方もあるから

同じような走り方で

同じような必死さで

追い抜かなくてもいい








尊敬する
あの人だったら
どんなふうに思うだろうかと
想像してみる

何か同じことが起こっても
物事のとらえかたは
人の数だけ
無限にある








古いノートが出てきた

書いてあることは
まるで
自分ではないよう

変わったんだ

変われたんだ

だからこれからも
どこまでも
変わっていけるだろう








会社を誇るのではなく

何かを誇るのなら

自分にしたい








すごくよれよれになった
すごく好きなTシャツを
じっとながめてから
捨てた

慣れ親しんだ
安心できるものを捨て

見たこともない
新しい物を
手に入れる時ってあると思う








信頼できる人を

見つけられる

場所にいること








分析する

判断する

乾いたことのようにみえても

それは
その人の
今までの蓄積が
大きく関わっている

そういうのって
人間性
というのだろうか

その人にしかない力のこと








だれかの夢に
手を貸すことができたらいいと思う

きれいごとではなく

一緒に
必死になって
ドロドロになって








認めてもらえない
のではなく
ただ
時期が少し合わないだけ
ということもある

閉ざされた
と思わないこと

好きだったら
やり続けること








ある日散歩に出たら
近所の植え込みの下に
枯れ葉がたくさん積もっていた

だいぶ月日がたって
下のほうは
もうすぐ土に帰っていきそうだった

なぜだか
こうしてだれも
自分のしたことを栄養にして
生きていくんだと思った

どんなつらいことも
どんなに関係なく見えることも
その人にかえっていくんだ

そして
春になると
あたらしい葉が生まれる

その人だけの美しい枝や葉

何だって
無駄にならずに
自分をつくってくれる








信じることは
力がわくこと


見えない熱いかたまりが

誰かから誰かに渡されて

涙が出ること








めぐりめぐって
世界の誰かの幸せの1片を
小さく形づくっていく仕事だったら
嬉しいと思う








いちばん
だいじなことは
自分できづく

誰かに教えられるのでなく