絵本
大人にむけて
ボルト工場とビスケット工場
そのふたつの工場は、
丘のうえに並んでいました。
ひとつは
いろんなキカイの組み立てにつかわれる
ボルトをつくっている工場です。
もうひとつは
マーガレットの花の形が
表面にてんてんでおされている
まるいビスケットを
つくっている工場でした。
その男の人は
いつもと同じように
電車にのって
ボルト工場に出社しました。
工場に入る時は
まずタイムカードというものを押します。
白いたてながのしっかりした紙で
そこがひと月分にくぎってあります。
それを時計のついた箱に入れると
ガチャンと
すごい音をたてて
8:15
青いインクをその紙につけるのです。
それで
遅刻しないで
ちゃんときたかどうか
えらい人がしらべます。
(その紙は帰りにも
ガチャンとおさなくちゃいけないんです。)
月曜から金曜まで
そしてまた
次の月曜から金曜まで、
そしてまた
次の週も
次の週も
朝と夕方に
ガチャンとおさなくちゃいけません。
次にロッカールームにいって
灰色のうわっぱりにきかえます。
灰色のズボンもはきます。
灰色の帽子もかぶって
ベルトコンベアの前の
自分の位置にいきます。
座って、
自分の椅子の位置を
具合がいいように
ちょっと直しておきます。
そうやって
だまって座って待っていると、
たくさんの人が
おはよう、おはようと自分の席につきます。
ベルトコンベアをはさんで
ちょっとずつずれて
向かい合わせになります。
しばらくの間
みんなが整列してしずかです。
この時が
好きだなと
その人は思います。
そして
ベルがなって
ぐおーんと
ゆっくりコンベアが動き出します。
その人の仕事は
ベルトコンベアに乗って出てくる
ボルトに不良品がないか
じーっと見て
悪いのをよりわけるという仕事です。
だからちょっと目は疲れます。
その人はもう54才なので
だいぶつらい日もあります。
目の前をたくさんの ボルトが流れていき、
つい
ほかのことを考えてしまう
ときもあります。
今日のお昼のことを
考えたり、
日曜に行った
釣りのことを考えたり、
時には昔のことも考えます。
子供が生まれた
ころのこととか、
はじめて買ってやった
おもちゃのこととか、
七五三の神社の階段で
ころんじゃったっけ、とか
小学校の赤いランドセルをかかえて
嬉しそうに眠ってたこととか。
ベルがなると、休けいです。
15分。
みんなお茶やコーヒーをのみに
ガタガタと席をたちます。
その人はトイレにいってから、
廊下でせのびをしたり
ちょっと体操をしました。
またベルがなって
おひるまで
もう少ししごとです。
その日は晴れでした。
おひるやすみは一時間。
その人はいつも奥さんが
おべんとうをつくってくれるので
ロッカールームにとりにいきました。
いつもいっしょに
ごはんをたべる友達が
かぜでやすみなので
今日はひとりで食べます。
給湯室で
ポットにいれてあるお茶を
紙コップに入れて、
それをおべんとうの上において
こぼれないようにそろそろ歩き、
外の芝生のところのベンチにいきました。
おべんとうは青と白の
チェックのハンカチにつつんであって
中はアルミの四角い箱型のです。
今日の中身は
ごはんと
卵焼きと
いんげんのごまあえ
それから
肉だんごに
梅干し。
食べながら
ときどきおひさまのほうを
ながめました。
ぜんぶたべて、ふたをして
ハンカチでむすびなおして
時計をみると、
まだ1時まで30分あります。
いつもだったら
会社の食堂に
コーヒーをのみにいったりしますが、
今日はそのベンチに
座っていることにしました。
なにか、ものをたべて
あたたかいと
ねむくなります。
ちょっとうとうとして
首ががくんとうしろにひっくりかえったので、
ハッと気がついて
時計をみると
5分前でした。
もう外にもだれもいません。
立ち上がって
工場のほうへ
歩きはじめました。
午後のしごとのほうが
どちらかというと長く感じます。
また一度、途中で休憩があり、
5時になったら
またベルがなっておしまいです。
ロッカールームで
灰色のうわっぱりと
灰色のズボンと灰色の帽子をぬいで
タイムカードをガチャンと押します。
そして守衛さんに
さよならといって
電車で家にかえります。
*
そのとなりのビスケット工場には
女の人がたくさんいます。
若い人から年とった人までいます。
その人たちも
おなじように
タイムカードを押します。
ガチャン。
8:10
そのあとは
白いうわっぱりをきて
髪の毛がでないように
まわりに白いゴムのはいった
綿のぼうしを
おでこまでしっかりかぶります。
そのあと
くうきがふきだす
電話ボックスのようなところに
ひとりずつ入って
消毒されます。
その若い女の人は
今日気がしずんでいました。
きのう失恋したからです。
結婚するはずだった人が
やめようと言ったのです。
どうして、と
何度もきいたのですが
他に好きな人ができて
どうしようもない
というのです。
そんな日の次の朝も
マーガレットの花の印のついた
ビスケットを焼かなくてはいけません。
なんてことかしら、
と思いました。
ロッカーの裏についている
小さな鏡をのぞくと
少し疲れた顔がうつりました。
白い服に着替えて
空気の部屋に入ります。
上からいきおいよく
空気がふきだしてきて
顔や肩にあたります。
このまま 溶けてなくなって
しまいたいような
そんな気持ちがしました。
その人の仕事は
ボルト工場の男の人と同じように
流れてくるビスケットをじっとみて
悪いのをわきによけることです。
いつもの場所にいって座ると
何十枚かに一枚
割れたビスケットが
カタカタとコンベアにのって
やってきます。
その女の人は
それをとりのぞいて
足元にある箱にいれていきます。
ほんの一カ所だけ
カケたビスケットに手をのばす時は
なんだか悲しい気がします。
たったこれだけのことで
ワキにどけられるなんて。
ベルがなると12時です。
その女の人も ボルト工場の男の人と
おんなじころ
ベンチでおべんとうをひらきました。
ハムときゅうりの
サンドイッチ。
自分でつくるおべんとうって
中身をしってるから
悲しいなぁ、と今日は思いました。
たくさんのカケたマーガレットたちは
午後の仕事がおわって
ベルがなると
一カ所に集められます。
そしていくつかのビニール袋にわけられて、
おばさんがそこに
マジックで「50円」とか走りがきをします。
ほしい人は、お金を机のうえの缶に入れて
それをもってかえるのです。
でも子供たちは
おかあさんが持ってかえる
ビスケットをもう食べあきていて
ちっともよろこばないで
サクサクとテレビを見ながら
かじってしまうのです。
今日、その女の人は
その50円のビスケットを
買ってかえることにしました。
いつも通る坂道を
オーバーコートをきておりていくと
自分の靴の音がきこえました。
ハンドバッグがずりおちたので
肩にかけ直して
顔をあげたら
住宅地のむこうの空が
夕焼けでした。
ほんのりミルク色がかった
オレンジ色の。
その女の人は
たちどまって
しばらく
その夕焼けをながめていました。
家にかえって
ハンドバッグをおろし
ビニール袋から
かけたマーガレットを出して
ひとつ食べてみました。
サクと音がして
部屋にひびいたような気がしました。
半分になったマーガレットは
それでも
とても
おいしいビスケットです。